2008年08月20日 16:21
2008年07月05日 17:54
久々の2連休。そして今回は再び篠ノ井線への撮影旅行とあって気合を入れて夜中の22時に出発。
一晩かけて姨捨山へ向かう。

現地に着いたのは夜中の3時。撮影地となる姨捨公園の様子を見に行くと、いわゆる「置きゲバ」が多数orz...さほど集まらないだろうと思っていただけにショックだ。

その後も続々と人が集まり、本番は50人近い人が集まった。クモユニ+115という珍しい組み合わせがここまで集客を呼んだのだろうか?

国鉄時代はよく見られた?光景。昔は篠ノ井線にもスカ色が走っていて、郵便・荷物輸送用にクモユニが連結されていたという。しかし、普段クモヤを見ている者にとって、事業用車イコール青+黄というイメージが強いだけにスカ色は違和感が・・・(汗

姨捨の駅名標とクモユニ。

115側。ヘッドマークはこの日のために作ってくれたのでしょうか?支社の方の思いが伝わってきます。

クモユニ側のヘッドマーク。こちらはシールとなっています。クモユニ側はクモユニ先頭、115側は115が先頭で絵が描かれています。

復路を姨捨公園の反対側に見える道路から。しかし7月とはいえ暑い・・・おかげで首元が真っ黒に日焼けました;

スイッチバック号を撮影した後、長野総合車セの解体線を見に行きました。倉庫?の横に湘南色の訓練車が。

解体線は209オンリーでした。201の姿がありません。既に解体されてしまったのでしょう。

この光景はまるで浦和電車区・・・平成生まれの、まだまだ若すぎる人生。201の25年も短いけど、209の15年は短すぎる。

よく見ると先頭車だけがころころ転がっています。改造して再利用でもするんでしょうか?何か意味深な光景です。

最後に全景。209で埋め尽くされています。この車両たちの運命や如何に・・・
一晩かけて姨捨山へ向かう。

現地に着いたのは夜中の3時。撮影地となる姨捨公園の様子を見に行くと、いわゆる「置きゲバ」が多数orz...さほど集まらないだろうと思っていただけにショックだ。

その後も続々と人が集まり、本番は50人近い人が集まった。クモユニ+115という珍しい組み合わせがここまで集客を呼んだのだろうか?

国鉄時代はよく見られた?光景。昔は篠ノ井線にもスカ色が走っていて、郵便・荷物輸送用にクモユニが連結されていたという。しかし、普段クモヤを見ている者にとって、事業用車イコール青+黄というイメージが強いだけにスカ色は違和感が・・・(汗

姨捨の駅名標とクモユニ。

115側。ヘッドマークはこの日のために作ってくれたのでしょうか?支社の方の思いが伝わってきます。

クモユニ側のヘッドマーク。こちらはシールとなっています。クモユニ側はクモユニ先頭、115側は115が先頭で絵が描かれています。

復路を姨捨公園の反対側に見える道路から。しかし7月とはいえ暑い・・・おかげで首元が真っ黒に日焼けました;

スイッチバック号を撮影した後、長野総合車セの解体線を見に行きました。倉庫?の横に湘南色の訓練車が。

解体線は209オンリーでした。201の姿がありません。既に解体されてしまったのでしょう。

この光景はまるで浦和電車区・・・平成生まれの、まだまだ若すぎる人生。201の25年も短いけど、209の15年は短すぎる。

よく見ると先頭車だけがころころ転がっています。改造して再利用でもするんでしょうか?何か意味深な光景です。

最後に全景。209で埋め尽くされています。この車両たちの運命や如何に・・・
2008年06月29日 20:57
2008年06月08日 21:48
昨日、臨時あやめを撮影し「新宿さざなみ」を撮影していなかったので行くことにしました。土日が休みになることは多分もうないと思うので・・・サービス業は厳しいです↓

駅に向かう途中、豊田区を除いてみると留置されてる編成の幕が変わってます(笑
こちらは青2編成で「御嶽」幕

奥から青8(立川幕)、青3(奥多摩幕)、H1(東京幕)、青2です。
なお、先日H1が3両で動いてるところを見ました。上の写真に写ってるのはクハ200です。また検車庫内に青編成のクハが見えたことから、廃車回送に向けた編成の組み換え(H1の3両+青編成)が行われている模様です。
ここから一気に内房線へ(と言っても近場ですが・・・汗;)





「新宿さざなみ」。絵幕があるのはありがたいです。。

駅に向かう途中、豊田区を除いてみると留置されてる編成の幕が変わってます(笑
こちらは青2編成で「御嶽」幕

奥から青8(立川幕)、青3(奥多摩幕)、H1(東京幕)、青2です。
なお、先日H1が3両で動いてるところを見ました。上の写真に写ってるのはクハ200です。また検車庫内に青編成のクハが見えたことから、廃車回送に向けた編成の組み換え(H1の3両+青編成)が行われている模様です。
ここから一気に内房線へ(と言っても近場ですが・・・汗;)





「新宿さざなみ」。絵幕があるのはありがたいです。。
2008年06月07日 23:09
2008年06月06日 17:04
中央快速線における車両の取替え(E233化)もほぼ終了し、201系は立川〜三鷹間の高架化工事による運用増のために2編成が残ることとなった。
最近ではH4・H5・H7の3編成が運用に就いていたがH4が東京総合に入場した。そしてH4の帰りを待つことのないままH5が昨日旅立った。ここではH5(元H14編成)最後の記録を載せていきます。

文句なしの快晴。そして最後の晴れ姿・・・やっぱり特快ヘッドマークが似合いますね。

豊田電車区の裏へ。H1編成4両はここにいました。

豊田を発車するH5を狙おうとしたらH7が出庫してきました(画面右奥)。今となっては貴重な離合シーン。

八王子で返しの東京行きを狙う。後ろにいるのは山手から引っ越してきた205系。

このあと普通列車で鳥沢まで先回り

有名所なのに今回初めて来ました。川の水も綺麗だし、小鳥たちの鳴き声が癒しを与えます・・・

川原へ降りてきました。釣り人がたくさんいます・・・夏のような光景です。

普段は東京のビル軍の中を縫うように走るオレンジの車体が、大自然の中を快走します。

こうして見ると橋の高さがよく分かりますね。東京では決して撮ることのできない、山線ならではの醍醐味です。

夕方は御茶ノ水へ。電気街の明かりが鮮やかです。ここでは一般の人も撮影していました。

高尾でバルブ撮影。大月での撮影と雰囲気が似ています。。。
この日はこれで終了。翌日は仕事ですが時間が合ったのでH5最後の「通勤特快」を撮影しに・・・

前面窓に貼られたガムテープが痛々しい・・・通勤客を乗せて都会へ向かう。

仕事が1昼夜制の勤務では2日家に帰れないことも多く、帰ってきたときにはH5は既に運用を離脱し「廃回レーン」にいました。編成札も撤去され、翌日に迫った廃車回送を待つ姿・・・よーく見ると前面窓の左上。運用番号表示機の下辺りに何か小さいものが貼ってあります。

拡大するとこんなものが。乗務員さんも思い入れがあるのでしょう。みんな旧型と言うけど、201系は元祖「省エネ電車」なのです。

ここで幾度となく廃車となる編成を見送っていました。いつの間にか3編成にまで減ってしまった。この時期になって気付いた。2年前までは中央線は201系オンリーだった。その時は湘南電車113系や103系を追いかけていた中で、まだ中央線は撮影対象ではなかった。
19の『卒業の歌』の歌詞「終わることを意識し始めた時、急に時間は形を変えた退屈だと叫んでいたなんでもない毎日が今では宝物です・・・」
まさにその通りです。201系だらけだった頃、トップナンバーH1、霜パン付き分割編成、バケットシート搭載のT14、サハ201−1連結のT1、数年前は塗装がボロボロで真っ先に廃車になると思ってたのに、最後のT編成として最後まで駆け抜けたT2・・・
家のアルバムには思い出が詰まっています。そんな201系との別れまで、1年をきりました。いよいよ最後のカウントダウンです。中央線を『オレンジの光』が走り続ける限り、カメラを持って思い出作りは続きます。
最近ではH4・H5・H7の3編成が運用に就いていたがH4が東京総合に入場した。そしてH4の帰りを待つことのないままH5が昨日旅立った。ここではH5(元H14編成)最後の記録を載せていきます。

文句なしの快晴。そして最後の晴れ姿・・・やっぱり特快ヘッドマークが似合いますね。

豊田電車区の裏へ。H1編成4両はここにいました。

豊田を発車するH5を狙おうとしたらH7が出庫してきました(画面右奥)。今となっては貴重な離合シーン。

八王子で返しの東京行きを狙う。後ろにいるのは山手から引っ越してきた205系。

このあと普通列車で鳥沢まで先回り

有名所なのに今回初めて来ました。川の水も綺麗だし、小鳥たちの鳴き声が癒しを与えます・・・

川原へ降りてきました。釣り人がたくさんいます・・・夏のような光景です。

普段は東京のビル軍の中を縫うように走るオレンジの車体が、大自然の中を快走します。

こうして見ると橋の高さがよく分かりますね。東京では決して撮ることのできない、山線ならではの醍醐味です。

夕方は御茶ノ水へ。電気街の明かりが鮮やかです。ここでは一般の人も撮影していました。

高尾でバルブ撮影。大月での撮影と雰囲気が似ています。。。
この日はこれで終了。翌日は仕事ですが時間が合ったのでH5最後の「通勤特快」を撮影しに・・・

前面窓に貼られたガムテープが痛々しい・・・通勤客を乗せて都会へ向かう。

仕事が1昼夜制の勤務では2日家に帰れないことも多く、帰ってきたときにはH5は既に運用を離脱し「廃回レーン」にいました。編成札も撤去され、翌日に迫った廃車回送を待つ姿・・・よーく見ると前面窓の左上。運用番号表示機の下辺りに何か小さいものが貼ってあります。

拡大するとこんなものが。乗務員さんも思い入れがあるのでしょう。みんな旧型と言うけど、201系は元祖「省エネ電車」なのです。

ここで幾度となく廃車となる編成を見送っていました。いつの間にか3編成にまで減ってしまった。この時期になって気付いた。2年前までは中央線は201系オンリーだった。その時は湘南電車113系や103系を追いかけていた中で、まだ中央線は撮影対象ではなかった。
19の『卒業の歌』の歌詞「終わることを意識し始めた時、急に時間は形を変えた退屈だと叫んでいたなんでもない毎日が今では宝物です・・・」
まさにその通りです。201系だらけだった頃、トップナンバーH1、霜パン付き分割編成、バケットシート搭載のT14、サハ201−1連結のT1、数年前は塗装がボロボロで真っ先に廃車になると思ってたのに、最後のT編成として最後まで駆け抜けたT2・・・
家のアルバムには思い出が詰まっています。そんな201系との別れまで、1年をきりました。いよいよ最後のカウントダウンです。中央線を『オレンジの光』が走り続ける限り、カメラを持って思い出作りは続きます。
















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